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SUSTAINABILITY

じげんのアルムナイ|卒業生3人で立ち上げた起業ストーリー

02.16.2024

じげんでは、2021年度よりじげんを退職した社員同士のコミュニティ「アルムナイ」を不定期で実施しています。じげんも創業17周年を迎え、卒業生も増えており、卒業後も互いに支え合う関係をつくることを目的として開始した取り組みです。
今回は「アルムナイ」の活動のひとつ、社員向け登壇セミナーの様子をお届けします。ゲストスピーカーは、じげん卒業生3名で立ち上げたYoom株式会社の皆さんです。じげん卒業後の起業ストーリーや、じげんで学んだことをどう今のビジネスに活かしているのかをお話しいただきました。

3名のじげん卒業生が立ち上げたベンチャー企業

波戸﨑:はじめまして。Yoom(ユーム)株式会社の代表を務めています、波戸﨑駿と申します。じげんの2013年の新卒で、12年からインターンとして働きはじめ、18年の12月に卒業しています。約6年じげんにはお世話になって、卒業後の翌月に起業しています。
インターン時代から内定者メンバーで新規事業の立ち上げをやらせていただいたり、そこから旅行領域の新規事業携わらせてもらったりしていました。
2年目から住まい領域のマーケティングを担当し、新規事業のEC領域にもチャレンジしました。
3年目以降から卒業までの間は求人事業部の責任者を務めさせてもらい、約6年間色々な領域のビジネスにチャレンジしていました。本日はよろしくお願いいたします。

Yoom株式会社 代表取締役社長 波戸﨑 駿氏

石井:私は2015年にじげんにエンジニアとして新卒入社しました。波戸﨑のふたつ後輩です。
当時、新卒の最終面接は平尾さんだったんですが、面接のその場で内定をいただいて握手してもらったことを、いまだに覚えています。
内定後すぐインターンとして働きはじめ、社員になってからは求人事業部に配属になりました。
当時は転職EX、アルバイトEXに携わり、その後はグループ会社三光アドのPMIとしてWEB事業の構築を担当していました。
事業を伸ばしたり、会社を成長させたり…若いうちから本当にたくさんの経験をさせてもらっていて、今になっても「あれは良い経験だったな」としみじみ思っています。今日はよろしくお願いします。

Yoom株式会社 取締役CTO/COO石井 淳史氏

秀島:秀島恵理子と申します。わたしは当時「新卒ゼロ期生」と呼ばれていまして、2012年に新卒として入社しました。
当時のじげんオフィスは、新宿の雑居ビルの一室みたいな所でした。在籍中も色んな所にオフィスを移していましたが、今日初めて虎ノ門オフィスを見て「あぁ、本当に大きい会社になったんだな」と感慨深く思っています。
私は他の2人とは違って、特に責任者に就いていたわけでもなく、平社員で4年間を過ごしており、主に求人領域でセールスやマーケティングなどを担当していました。

今日は何か皆さんに持ち帰っていただけることがお話しできると嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

Yoom株式会社 取締役 秀島 恵理子氏

Yoomのミッションは、「We Make Time」テクノロジーの力で、人々に時間を取り戻す。をミッションに掲げて事業を行っています。ビジョンは世界的なビジネスオートメーションを作っていくことです。世界的に活用される、業務自動化サービスをつくっている会社です。
私たちのサービスは、社名でもある「Yoom」というサービスです。
皆さん普段からSlackやスプレッドシートなど、いろいろツールやサービスを使ってお仕事されているかと思います。私たちはこういった複数のサービスを組み合わせ、自由な業務のツールをつくり、業務を自動化していく、いわゆるiPaaS(Integration Platform as a Service)と呼ばれる領域のビジネスを展開しています。
もうひとつ、「Yoomナレッジ」というサービスを今年(2023年)にリリースしました。これは生成AIとiPaaSを組み合わせたような、ナレッジベースです。社内のナレッジを自動で蓄積し、管理を自動化するようなサービスです。
いろんなSaaSや、社内のドキュメントやコミュニケーションツールから全部自動的に情報を集約し、それをもとに社内情報を検索することができるようなサービスになっています。

平尾:リリースは拝見しました。目の付け所がいいなと思いました。

じげん卒業生の起業ヒストリー

波戸﨑:ありがとうございます。
ここからは沿革になりますが、私が2018年の12月にじげんを卒業し、その翌月に株式会社TimeTechnologiesという会社をエンジニアの石井と一緒に創業しました。

先ほど秀島の入社時エピソードで雑居ビルという話もありましたが、私たちも同じです。本当に階段しかない、エレベーターもないような一室から、男2人だけで始めたのが前身企業のTimeTechnologies社でした。
実は起業当時からSaaS事業からスタートしたわけではなく、「AIに関連した事業をやりたい」という思いから、アルゴリズムを作る会社から元々はスタートしています。
TimeTechnologies社時代は、LINE特化型のマーケティングアルゴリズム「AutoLine」(※2022年に売却)を販売していました。それがローンチ後に色んな企業に導入いただけ、どんどんSaaS化していったという形です。先ほど申し上げた通り、2019年当時は私と石井しかいなかったので、「私が売る、石井作る」という役割分担で、私はほぼ営業だけをおこなっていました。

平尾:短期間で販売網をグッと拡げられていますよね。そのあたりはどのように取り組まれたのでしょうか?

波戸﨑:メガベンチャーの広告代理店さまとパートナー契約をさせていただいて、ナショナルクライアントが増えたことが大きかったです。タイミング的にもLINEが従量課金制になったタイミングで、クライアントの皆さんが「いかに無駄配信をおさえるか」という流れになったのも後押しとなりました。
この代理店契約も偶然が重なったご縁です。元々は競合にあたるサービスを使っていたお客さまに営業をかけたことがキッカケでした。当時の競合サービスの販売責任者の方からクレームと言いますか、「ちょっと会って話しましょう」と連絡をいただいて。
そのとき私たちのサービスをご紹介したら、「とても良いサービスなので、うちで売りますよ。」となり、代理店契約を取らせていただくことになりました。そこからどんどんサービスが成長していき、会社にも人が増えて、オフィスも今の場所に移り、採用も強化できるようになって、グロースフェーズに入ってきています。

じげんでの信頼関係だけではない、プロダクトへの情熱で集まった3人

平尾:秀島さんはいつからジョインしたんですか?

波戸﨑:秀島は2019年の8月ぐらいから業務委託として、お手伝いしてもらっていました。
実は、じげん時代から「絶対秀島を誘う」と決めていて、多分わたしが入社2年目か3年目ぐらいから決めていたんですよね。創業後も1番に声をかけていたんですが、なかなか首を縦に振ってくれなくて。しつこく口説き落としました。
もちろんお世話になった方になるべく不義理なことはしたくなかったので、慎重に動きました。2人とも私より早く卒業していたこともあったので、これはギリギリセーフだろう(笑)という自己判断のもと誘わせてもらっています。

平尾:(笑)。一緒に創業した石井さんと喧嘩したことはないんですか? 

波戸﨑:喧嘩はないですね。彼はネガティブではない、本質的な辛辣さがあって、真っ直ぐ意見を言ってくれるので。そこを信じて一緒にやってきましたね。

平尾:秀島さんは波戸﨑さんの先輩ですよね。私は先輩を右腕にする、先輩を雇用するっていうのが頭にはなかったんですけど(笑)そこは何か「秀島さんじゃないと駄目な理由」というのがあったんでしょうか。

波戸﨑:そうですね。秀島とのこれまでの関係値というよりは、やりたいことが近いっていうのがすごく大きかったと思います。私達は3人ともプロダクトが好きで、「良いプロダクトをつくりたい」という意識が高いんですよ。単なる「プロダクトが好き!」ではなく「事業としての強みも持っているプロダクト」がつくりたい。そこはじげんの影響をとても受けているなと思いますし、そのあたりの熱量は同じくらいなんじゃないでしょうか。やっぱり同じ方向を向けないと難しいかなと。

平尾:なるほど。信頼関係と熱意ですね。ここまでの話を聞いていて、個人的には「とってもうまくいっている」と感じています。

スムーズに成長をする一方で、苦労する場面も

平尾:スタートアップ企業、しかも創業期にここまでうまくできることってほとんどないじゃないですか。外して、外して、当てたんじゃなくて、いきなり当たっている。

波戸﨑:実際、私達は創業してから実はずっと黒字なんです。サービスを作る前から営業していたので、リリースするときには「もうお客さまがいる」という状況がつくれていたのがポイントだったかなと思いますね。
これはじげんの時から学んでいたことなんですが、組織をつくることが1番難しいんですよね。なので、石井と2人でレバレッジをどこまで効かせられるかはものすごく考えていました。最初からパートナービジネスは狙っていて、さらに大手を抑えることが大事だと思っていました。

平尾:なるほど。ミニマムな組織で生産性を保ち、キャッシュが生まれるようにしていたんですね。起業して困ることって、まずはお金ですよね。お金に困ったということはなかったんですか?

波戸﨑:ありがたいことになかったですね。もしこの中で起業をされたい方がいたら、セールス領域とマーケティング領域はキャッシュが立ち上がりやすいので、おススメです。

平尾:波戸﨑さんが起業してから、何か困って相談してくるかな?と思っていたんですけど、そんなことは一度もなかったですよね。(笑)それ以外に困ったエピソードとかないんですか? 

波戸﨑:ベンチャーとしては、本当にうまく進んでこられたなとは思います。
困ったことは、大手のお客さまに応えられるようにプロダクト側を強化することが1番大変だったと思います。

代理店契約いただいてからグッと契約社数が増えて、1日に200通だったところから、1分間に100万通を送る規模になりました。最初の配信日に向けて時間をかけてインフラを整えていたにも関わらず、いざ配信したらサーバーがダウンしてしまって。幸い、そこからは一度も配信エラーは起きてないんですが、その時はエンジニアの石井も1番大変でしたし、私もストレスがかかっちゃったんですかね、片耳が聞こえなくなった時もありました。
代理店の皆さんもうちを信じて色んなお客さまを紹介くださっているのにかかわらず、その信頼をつぶしてしまうことになってしまう。配信エラーがまた起きたらどうしようと。責任感というか、信頼を失う怖さがありましたね。

「強いプロダクトをつくりたい」思いから、売却を決断

平尾:「AutoLine」をブレインパッド社に2022年に売却してますよね。これは何かきっかけがあったんでしょうか。

波戸﨑:「AutoLine」に加えて「Yoom」を始めてから、ふたつの事業を走らせることの難しさといいますか、すごく頭を抱えてしまうことが多くなっていました。「どちらも中途半端になってしまう」と危機感を抱き始めたタイミングで、2022年に「AutoLine」を売却し、「Yoom」にフォーカスを当てる動きをとりました。

平尾:卒業してからもじげんの動きは見てくれていると思うんですけど、じげんは事業を並列的にどんどん広げていく形じゃないですか。それが波戸﨑さんにとってどう思っていて、どう株式売却に至ったのか。そのあたりを詳しく教えて欲しいです。

波戸﨑:これはじげんでの学びがとても活きているのですが、私が入社したときでも10個以上のサービスがあって、卒業時には20個以上になっていましたよね。そうなったときに、幹部陣が足りなくなってくる感覚がありました。私の中で「1社で本当に強い事業をつくっていくのは3つが限界」なんじゃないかと正直思っています。3つまではリスクヘッジの意味でも良いとは思うのですが。

平尾:役員が優秀だから、1人3つくらい余裕なのでは?それでも、その意思決定をしなかったんですね?

波戸﨑:見ようと思えば、見れるんですけどね。(笑)
「事業をマネジメント」することはできるけど、「本当に強い事業」をつくるのは、私の場合は3つが限界なんじゃないかなって思ったんです。そこで「Yoom」にフォーカスを絞りました。
1事業目の「AutoLine」は、創業期にしっかりキャッシュをつくり、黒字化を早められるところを狙って、そのキャッシュで「Yoom」を開発しています。プロダクト開発に2年くらいかかってしまうので、最初からつくるのは難しいんですよね。

平尾:今って資金調達環境が昔よりはるかに整っていますよね、資金調達はしなかったんですか?
じげん出身3名の会社というだけで、投資家の方の興味を引きやすいのでは?

波戸﨑:しなかったですね。
実はじげんを退職してすぐ、インドのバンガロールに視察に行って、海外で起業することを検討していたんです。現地の方の話を聞いたり、色々と見て学んでいく中でまずは国内で起業することにしましたが、戦略的には海外にいずれ行きたいと思っています。
これは現地で学んだことのひとつですが、日本で早いうちから株式放出してしまうと、絶対に世界では戦えません。海外と日本だと、評価水準も資金の規模も全く違いました。そういった背景もあり、初期の経営フェーズで投資を入れず自己資本でグロースさせ、海外で大きく資金調達できることを念頭に置いています。
今回の株式売却も、「Yoomを成長させるための手段」として選択しています。

インド視察の様子

M&Aを経て、本格的にプロダクトづくりに着手

平尾:ブレインパッド社へのM&Aは、どういった経緯で決まったんですか。

波戸﨑:昔から付き合いのあったベンチャーキャピタルの方に相談して、紹介してもらいました。
創業3年、10.5億で売却しています。「M&Aをしてエグジットする」っていうと、その資金をベースに次何をするか考える経営者も多いと思うんですが、私たちはM&Aで得た資金を「Yoom」の資本に入れています。TimeTechnologies社の名前も残したかったんですが、税率のこともあったので再投資という形を選択しています。

平尾:これはふたり(石井・秀島)も納得した決断なんですか?

秀島:そうですね。当初から3人で話し合っていたので。事業売却を手法として、ただ株を手放しただけという認識です。大きな戦略のひとつみたいな感じですね。

平尾:売却した「AutoLine」はその後も伸びているんですか?

波戸﨑:はい、お客さまのラインナップも重なるところもあったので、事業シナジーはすごく高かったと思います。彼らもLINEだけがピースとして足りていなかったので、ぴったりハマりました。
その後Yoom社がスタートするのですが、TimeTechnologies社より圧倒的に「The・スタートアップ」ですね。本当に大変です(笑)。

平尾:個人的に、「Yoom」の方がビジネスモデルは好きなんですが、何が1番大変ですか?お客さんに理解されないことだったり、自由度が高い分、「何からどうやっていく」か決めることが大変ですか?

波戸﨑:「AutoLine」はエンタープライズビジネスなので、大手のお客さまに導入いただく形なのでセールス・カスタマーサポートコストがかけられたんですが、「Yoom」はセールス・カスタマーコストがかけられない。クライアントのSMBもかなりの母数になります。できることが広い事業なのでプロダクトを磨くしかない。プロダクトへの投資が半端ないです。おっしゃる通り、自由度が高い分選択肢がたくさんあるので、難しさは感じています。

自分で考え、走り抜けてきた経験が次の自信をつくっている

平尾:ここからは石井さん・秀島さんにも話を聞いていきたいと思います。
じげんのあいだでどんなスキルセットが身に付いたか?どんな経験が卒業後に活きたかを教えてください。

石井:私は3つありますね。
ひとつ目は、自分の技術を活かしてどんな事業課題が解決できるか?という思考プロセスを培えたことでした。ふたつ目は、ひとつのサービスにエンジニア1人でアサインされたことです(笑)。起業すると、周りに助けてくれる仲間がいなくなります。自分で考えられる範囲を組織に居ながら拡げられたことはとても良い体験でしたね。
最後は、事業を動かしてきた成功体験です。エンジニアであっても、自分の仕事がもたらした実績・数値は自分の自信になりましたし、卒業後も自分の背中を押してくれていたと思います。

平尾:とっても良いことを言ってくれますね。嬉しいです。

秀島:じげんでは当時、1人でやらないといけない範囲が本当に広くて、「何をしても良いから伸ばせ」「そのためにアドバイスは誰に聞いても良い」という状況で、セールスでもマーケでも良いから事業を伸ばしていく、川上から川下まで考えながらやってみるということをしていました。
成果を出すために色んな人の力を借りながら進めていたんですけど、職域の壁みたいなものがあまりなく、デザイナーでもエンジニアでも、お互いの「出したい成果」をお互いがよく分かり合っている状況だったので、色んな観点が身に付いたと思います。
自分で仕事を見つけて、成果を出すのはとても大変でしたけど、それが本当に勉強になりました。
私はじげんを卒業してからフリーランスの時期もあったんですが、その時も課題をベースにご相談いただくことが多かったんです。マーケの相談だったらマーケで解決するし、CSの相談だったらCSもやります!という感じで。それは、じげんで目の前の課題に向き合ってきたから得られた強さだと思います。

波戸﨑:私は「何もない所からの突破力」が圧倒的に活きています。
何も解がない所から、誰かに教わるでもなく自分でラーニングをして、もし必要だったら本当に解を持っている人に聞きに行きながらやってきました。おかげでSaaS事業なんかやったことないのに、「学べばどうにかなるだろう」という経験からの自信が今も役立っています。
あとは「予測力ですね」。数か月後にこうなるな、多分今後こうなっていくな、という力は鍛錬してもらったと思います。統括会や中期経営計画で毎週平尾さんからご指導いただいていたので。
独立してからも私は心に「リトル平尾丈」を飼っているんですが(笑)、「あ、たぶんこれ平尾さんなら突っ込んでくるな」「じゃあ修正しよう」という風にリトルジョーと日々やり取りしています。(笑)

事業づくりの強みを育て、組織づくりの難しさをじげんで学んだ

平尾:在職時には見えてなかったけど、卒業した立場から見えるじげんってどんな風に見えていますか?

波戸﨑:「AutoLine」はじげんでも使っていただいていて、プロダクト提供者側としての視点のお話なんですけど、通常、導入まで2か月くらいかかるんですね。同じようなIT企業であっても、1か月はかかります。
でもじげんはどのサービスでも2週間で導入できちゃうんです。スピード感がすごいのが当たり前。当たり前のレベルが異常に高いなと思いました。

秀島:今私たちの規模感は、当時じげんにいた時のサービス感と同じくらいだと思うんですけど、伸ばし続けるのがやっぱりすごいと思います。
当時私たちも「君たちが主戦力だ」と言っていただけていましたが、正直言うと最初の方が伸ばしやすいんですよね。人が入れ替わっても、コロナで色々大変な思いをされても、業績を伸ばし続けていられるのは凄いと思います。

じげんに居たときは求められているものも多いし、目標未達になって辛い時もありましたけど、それでも高いレベルで、しかも自力でやる力を養えていたんだと感じています。

平尾:その感覚を抱くのって、卒業してからいつ頃なものなんですか?

秀島:私は卒業後に入ったスタートアップにいたときに感じました。一緒に働く方は東大、外資系や投資銀行の出身者ばかりの会社で、皆さんめちゃくちゃ優秀だし、めっちゃ働くけど、頭良い人と感覚の良い人というのは違うんだとものすごく感じました。

石井:じげんは「数値活性力」と言いますか、伸ばす力が凄まじいなっていうのは改めて思いました。
新卒で入社したときは正直「予算そんなに無理だろ!」って思っていたんです(笑)。
それを達成していく力の強さ、伸ばしていく強さは今の立場になってとても感じていますね。

平尾:ここで、取締役の佐藤さんからも質問をもらいましょうか。

佐藤:昔のじげん新卒(12~16卒)の皆さんは、起業のノウハウを身に付けたら辞めるイメージを勝手に持っていたんですよ。でも皆さん、特に波戸﨑さんは6年もいらっしゃいましたよね。「じげんで頑張れた理由」が何だったのか教えていただきたいです。

波戸﨑:私は入社当時3年目で辞めるつもりだったんです。平尾さんにもお伝えしていました。
2年目ぐらいに事業で成功体験も詰めていたので、完全に天狗になっていたんです。「俺事業できちゃうじゃん、新規事業つくろうかな、起業しようかな」と思っていました。(笑)
3年目で求人事業部の責任者になったんですが、当時、求人はじげんの売上25%くらいを占めていた大きな組織でした。いきなり部下が30人になって、天狗の鼻もバキバキに折られましたね。
事業を学びたくてじげんに入ったんですけど、それよりも組織の方がめちゃくちゃ難しかった。「やっぱり学ぼう」と思って学び始めたら、組織を学ぶことの面白さも感じるようになって、結果的に6年いました。

佐藤:6年目のタイミングは何でだったんですか?

波戸﨑:20代のうちに起業したいというのがあったことと、AIのビッグウェーブを逃したら一生後悔すると思ったんですよね。

佐藤:なるほど。では、じげんで大変だった経験と、起業した後の大変さ、比較したらどうでしょうか?

波戸﨑:質が違うなと思っていて、じげん時代は平尾さんからのオーダーや事業数値に応える大変さ、平尾さんとのレベル差を感じながら仕事をするのが大変でした。
起業してからの大変さは、やっぱり逃げられないことですね。働いている時間はもしかしたらじげんの方が多かったんじゃないかと思うんですが、逃げ場がないこの環境が気持ち的に大変だなと思っています。

平尾:絶対組織のところまでやって良かったでしょう?

波戸﨑:そうですね。本当に良かったです。私としては「2回目の起業」みたいな感覚を持っていて、じげんで組織までやらせてもらって、財務もしっかり見させてもらって、M&Aにも入らせてもらっていたので。組織が難しい。事業だけじゃなく組織まで学べたことはとても大きかったと思います。

じげん社員の皆さんへ

波戸﨑:本日は皆さんありがとうございました。卒業生として来て、今日どんな感じになるか非常に楽しみにしていたんですけど、相変わらず平尾さんすごいなって感じています。
私たちが新卒のときは「平尾丈を超えよ」と言われて採用された世代なんですが、相変わらずレベル差が埋まらないなっていうのが今の感覚です。
卒業生としては、平尾さんを超える気概でやっていくつもりですが、それでもずっと先を走っていて欲しいなとも思っています。
規模も大きくなって、上場もしていますし、今後世界や社会に影響を与えられる会社だと思っていますので、いつまでも「カッコイイじげん」でいて欲しいなと思っています。

本日はありがとうございました。


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