「ひたむきさ」と「カオス」が成長エンジン、ブレイン・ラボの組織イノベーション(前編)
ブレイン・ラボ(以下BL)はじげんグループの中でも少し異色の光を放つ存在だ。システム開発・受託事業を手掛けるため、他のメディア事業とは違って従業員の半数をエンジニアが占めている。2019年にマッチングッド社(以下、MG)と合併を果たし、右肩上がりで成長している業績や組織づくりにおいて、じげんグループ内で高評価を得ている。BLに選任出向をしている彼らだが、昨年度においては第3四半期に山口(右)、第2・第4四半期に中江(左)がZEUS(社内MVP)を受賞するなど個人としても成果を残している。
前編ではそんな彼らのじげん入社までのキャリア、後編ではZEUSを受賞した彼らのアクションやナレッジについて迫る。
全く異なるバックグラウンドからブレイン・ラボに参画したふたり
おふたりのこれまでのキャリアを教えてください
山口:私は大学院を卒業して、メガベンチャーでゲームプランナーとして働きました。
主に新規ゲームのプランニングと、プロジェクトマネジメントを行っていました。
そのときに「ゲームとしては面白いが、なかなか売れず事業が継続できない」という状況を経験。
「マーケティング思考」の重要性を痛感し、マーケティングや事業開発に強みがあったじげんに転職しました。
入社後はグループ会社のBLに選任出向となり、当時BLが手掛けていた新規事業担当に。力及ばずそのサービスはクローズすることになり、次のキャリアを考えていた矢先に、BLがMGと合併することになり、PMIを担うことになりました。
新規事業から一転して、PMIの「1+1を10にする」ことの面白さにのめり込み、今に至ります。
やっていることはマーケティングから組織づくりまで多岐に渡りますが、主要ミッションとして、MGのプロダクトが継続的に売れるための仕組みづくりを担っています。
MGはもともと足で稼ぐ営業を得意としていたのですが、マーケティングをうまく使って集客する、効率的に営業する仕組みが根付いていなかったところにマーケティング施策や営業ツールを導入し、MGが元々持っている機動力に新しいマーケティングノウハウという戦略思考を加えていくことに注力しています。
中江:山口と比べると、私は割と険しいキャリアを歩んできましたね。(笑)
高校卒業後にアルバイトしていた飲食店で働いて、次に自動車工場の期間工として勤務。その後は自分探しを経て京都や大阪のIT企業で、エンジニアを軸にいろいろと経験させてもらいました。
じげんの前職では大手法人を対象にITサービスの企画・開発を支援していましたが、より自らがサービス運営の当事者となり、理想組織の実現をしたいと考え転職をしました。
じげんには、マザーズ上場直後に新規事業のディレクターとして入社をしました。
けれども、新規事業がクローズとなったので、求人事業部の仕事をしたり、航空会社の経営再生に携わりながら、2015年5月からBLの業務を並行して行い、2か月後に正式にBLにジョインしました。BLでは、組織・事業の再生。平たく言うとPMIを続けています。
当時はトラブルだらけで、一つひとつのプロジェクトを立て直しながら開発組織の再構築を進め、管理会計の仕組みづくりや営業プロセスの見直しなどを行いました。徐々に開発という立ち位置から全社へ管掌を広げていき、現在は取締役(2020年7月より代表取締役社長)として組織のアウトプットをいかに高めステークホルダーへの責任を果たすかに向き合っています。
「ダセェな」の一言から経営者へ、実践からの学びが形作ったキャリア
おふたりのキャリアは毛色が全く異なっていますね。中江さんにお聞きしたいのですが、エンジニアから経営側に回るに至った話をもう少し詳しく聞かせてください
はい、実は私は22歳のときに既に、「IT業界で、経営者になる」と決めていました。
エンジニアとして必要なスキルだけでなく、経営者に必要なスキルにもアンテナを高く張り、積極的に自己投資を行いながら身に付けてきました。経営学や人間学を体系的にインプットしながら、日々経営の目線で自分ならどうするかと考え実践し続け、着々と目標に向かってきたという感じです。
大きな節目は、大阪のITベンチャーに創業間もなくジョインできたことだと思っています。
WEBエンジニアとして採用されスタートしましたが、ポテンシャルながらも経営幹部として幅広くコーポレート関連のタスクや新規事業のグロースなどチャレンジさせてもらいました。経営者になるという目標のもとに得た学びを、現場で実際にアウトプットする経験をさせてもらえたのはとても大きな糧になりました。
そもそも経営者になりたいと思ったキッカケはなんだったんでしょうか
自動車工場の期間工で働いたのがキッカケですね。当時は工場の一作業員だったんですが、独自の生産方式を通して世界に誇れるモノづくりの技術を身近に体感することができました。一切の無駄を排除し、品質と生産性を追求し続けるたゆまぬカイゼンの風土、どうしたらこのような仕組みができあがるのかと疑問に感じ、より川上の仕事に興味を持つようになりました。また、あれほどの規模の企業の経営者が、自ら現場に足を運び、直接指導をする姿を目の当たりにして、誰よりも熱を発し皆を勇気づけるリーダーシップに感銘を受けた、というのも理由のひとつですね。
でも1番のキッカケは、期間工の先輩から言われた一言だったかもしれません。
その先輩は、期間工として働きながらも夢のために猛烈に勉強しストイックな日々を過ごされていました。
ある日、「お前、若くてそこそこ頭も良いのに、そんな風にタラタラしてていいのか。ダセェな。」と言われたんです。単細胞な自分はその言葉にカチンときまして、「絶対大きな人間になって見返してやる。」と奮い立たされました。それをキッカケに彼以上にストイックな日々を送るようになり、「自分のキャリアを筋道立ててしっかり考えよう」と動き始めることになりましたね。
ITの世界は当時から興味があったんでしょうか
いえ、私は興味を持ち始めたのはものすごく遅かったですね。
期間工の頃にお金を貯めて、初めて買ったパソコンで自分のホームページを作ったことをキッカケにITの世界の面白さを知り、IT業界で身を立てようと思うほどにのめり込みました。その後期間工の満了を迎え、海外を旅しているときに「人生設計を立てる」という内容の本に巡り合い、自分の人生年表のようなものを作り始めて、今もそのプランを実直に進めている途中です。
とはいえ、実は1番コミットしたのは、「25歳で結婚して子供をつくる」っていうことですね。
人生でいくつか叶えたいことがあって、私は家庭環境がそれほど良くなかったので、「ちゃんとした家庭を営むことができる土台をつくる」ことと、「45歳で身軽になって、自分の人生を謳歌できる状態にする」ということを若い頃に決めていて、逆算して25歳に結婚しました。これは、妻に知られると適当に決めたんじゃないかと怒られる話ですね。
一同 笑
この人に「キャリアを預けたい」そう思えたことが入社の決め手に
では続いて山口さんがじげんに入社したきっかけを教えてください
山口:前職のゲームプランナー時代、担当していたゲームは、商品としてはすごく面白かったと自負はあるのですが、あまり売れなかったんですよね。マス層にも楽しんでもらえるかを重視できておらず、一部のユーザーにしか評価されなかったことが原因でした。
その反省から、正しくマーケットを理解して、埋もれないようにするために「マーケティング思考」が大事だなと感じていました。じげんはマーケットをきちんと理解して事業をつくっている会社であるというところに惹かれました。
また、転職の軸として、裁量の大きさも重視していました。前職でも、重要機能のディレクションやPMを任せてもらえたことが目覚ましい成長につながったので、役割の大きさと活用できるリソースは意識していました。
人材領域は未経験でしたが、「これからはお金やモノの調達以上に人材の活用が重要になる」と思っていたので、面白くなる業界だと考えていました。
そんな中で、最後はBL社長の天野に出会ったことが大きかったですね。
それはなぜですか?
私の中で最終的に「誰と働くか」を非常に大事にしていたからです。面接で話したエピソードに、天野がじげんからBLに出向した当初に過去の請求書から売上情報をすべて洗い出し、事業戦略を決め直したというものがありました。その泥臭さと誠実さに、「この人と一緒に働けば、事業も自身も成長できる」と感じました。
また、天野の仕事や周囲の人に対する誠実さ、筋を通すこと、事業を通じた社会への貢献など、温かくもシビアな価値観は自分が大事にしたいことに重なっていたので、「この人ならば、キャリアを預けられるな」と信頼感を抱きました。ひたむきさはBLの個性のひとつかもしれません。
キャリアを預けられるという表現が独特ですね(笑)
山口:キャリアというのは、自分という「資本」を投じて、社会にどう貢献するかを模索する過程だと思うんですね。
少しドライな表現になりますが、人生の一部をかける意義があるかは転職時、強く意識していました。
天野に出会って、確信が持てました。
中江:山口は、面接しているときから、「すごい人が来たな」とワクワクしていました。100人以上面接でお会いしていますが、これだけ深いところまで自身のキャリアを考えて、面接に挑んでくる人はそうそういないですね。
中江さんのじげん入社のきっかけはなんですか?
中江:私は前職に就いて一年も経っていなかったのですが、転職紹介会社に「面白い会社がある」と紹介を受けました。
じげんの第一印象はまず、「カッコいい会社だな」と思いました。
代表の平尾の記事を読んで、「この人の生き方、バックグラウンド、めっちゃカッコいいじゃん」って。当時、じげんはマザーズ上場後間もないフェーズで、多角的な事業展開や積極的なM&A展開を進めていました。一介のエンジニアとしてだけでなく、担当事業に対しても経営目線で常に高いレベルで関わり方が持てそうだなと。結果を残せば経営ポジションに対しても十分にアクセス可能であった点も、非常に魅力的に映りました。
面接では当時の取締役や事業責任者、エンジニア責任者と会ったのですが、頭脳、実践していること、考えていることなど、どこをとっても個人個人に突き抜けた部分があって。「こんなに優秀な人たちと一緒に働けるなんて、ものすごく面白そう」と思いましたね。
組織の成長につながる化学反応を意図して引き起こす
採用のお話に触れましたが、BLはじげんグループの中でも、特に多様な色を持つ方が多い印象があります
中江:人を採用するにあたって、多様性を大事にしています。同じような人たちが集まって、同じ価値観を共有するというのもひとつの組織の強さですが、それだとイノベーションや、新しい発想が生まれにくいと思っています。
私自身、バックグラウンドがめちゃくちゃなので (笑)。飲食店をやって、期間工をやって、フリーランスや営業もやって…いろんなことをやってきた人間が、ITに飛び込みました。そんな色んなことをやってきた自分だからこそ還元できたこともたくさんあります。組織や事業が成長するための化学反応を、自分が触媒となってやれたこともたくさんあったなと振り返って実感します。
だからこそ、採用をする際にはスキル・経験も大事なのですが、「どんな人生を送ってきて、何を思って、どうやっていくか」キャリアの志向性に非常に興味を持ちますし、所属業界問わず分け隔てなく優秀な人には会って話を聞いてみたいなって思いますね。「面白いな」と思う人を増やしていかないと、組織を変化させることができないと感じています。
山口:今のBLの組織ってひと言でいうと、「カオス」なんですよね。
多様なものが入り混じる雑多な環境は、「大変だな」とストレスを感じてしまう方もいる反面、BLで活躍している人は、その散らかっているとも言える状況を「面白い」とポジティブに捉えられる人が多いなという印象です。
おふたりはそのような「カオス」な環境下で、どんな働き方をされているのでしょうか
山口:僕は、エスカレーターを逆走しながら全力で登ってる感覚ですね。(笑)
困難が次々に降り掛かってくる。それを解決しながら、さらなる高みを目指して突っ走る。程度に差はあれど、ベンチャー経営にはそんな所があると思いますよ。
中江:そうだね(笑)。
組織は良い状態もあれば、悪い状態になることも自然の道理ですからね。
組織コンディションを高めるための取り組みと同じくらい、振れ幅を事業計画や組織設計に多面的にプロットし、悪い状態が訪れても平常運転できるよう準備をしておくことが重要だなとこの5年で学びました。今は規模も大きくなってきて、私ひとりでは見切れなくなってきているので、現場のマネージャーやリーダーの育成・教育に注力しているところです。
私がこの5年で培った知識や経験を次世代のリーダーたちに引き継いで、直接見ているのは16名いるのですが、彼らが生き生きと活躍できるようにすることを一つの目標として、毎週30分ずつ時間をかけて1on1に取り組んでいます。
会社としても、本質的な課題解決に向けて、仕組みづくりを行っている最中ですね。
―後編では、ふたりがじげんで最もチャレンジしたこと・組織の作り方についてお話します。