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NO. 055
PEOPLE
じげんのキャリアビルダー

成長を追い求め、ステージを変えながらキャリアをつくるじげんの女性マーケター

09.17.2020

今回のOVERSは、じげんのマーケターの1人、比嘉が登場。じげん入社後、故郷でもある沖縄を飛び出し 名古屋の三光アドを経て、2019年より東京本社でマーケターとして活躍している。穏やかな口調とは対照的に、内に秘める芯の強さをのぞかせる彼女。場所を変えながらも目の前のミッションに真摯に向き合い、着実にキャリアを形成してきた。彼女のこれまでとこれからのキャリアについて話を聞いた。

クライアントが求めていることがしたい、運命を感じたじげんとの出会い

比嘉さんのじげんに入社するまでのキャリアを教えてください。

沖縄の久米島で生まれ、高校卒業の18歳まで島で育ちました。進学と同時に那覇市で1人暮らしを始め、卒業後にIT企業に就職したのは21歳のときです。
大手ブログサイトに掲載される広告の改善オペレーション・SEMのディレクションなどに従事していました。当時は新卒入社の場合、最初の4年間は契約社員。細かい作業で残業も多かったのですが、コツコツと足元の実務を会得しながら仕事のイロハを教えていただきました。

当時、4年の契約期間を待たずして新卒同期の中では最短の期間で正社員へ昇格されていますよね。正社員になってから取り組んだ仕事を教えてください。

アプリ事業オペレーション部の立ち上げや、クライアントと東京本社(代理店)と連携しながら仕事に打ち込みました。入社して4年目を迎えた頃、事業会社のクライアントが求めることと、私たちが追う数字にズレを感じ始めました。
「クライアントが本当に求めていることに貢献したい」と思ったことがきっかけで退職を決意しました。広告全般やアプリ事業などに携わりたい想いを抱いて沖縄を出るか悩んでいたころ、じげんがちょうど沖縄にオフィスを構えたこともあり、いくつかの取材記事を偶然見つけました。
私のやりたいことや沖縄に対する想いに共感し、「ここで仕事がしたい!」と運命を感じて応募しました。

右も左も分からない名古屋で、チャレンジを積み重ねた

良縁が繋がりじげんに入社されてからのことを教えていただけますか。

入社して3か月後に名古屋のグループ会社「三光アド」へ配属になりました。当時はM&Aという言葉を聞いたことがある程度で、名古屋は訪れたことのない土地でした。もともと好奇心も強い方で楽天的な性格なので、どんな仕事や人と出会えるのかワクワクしたのを覚えています。
当時は三光アドがじげんグループに参画したばかりの頃です。三光アドは元々求人広告に特化した紙媒体のみを展開していました。与えられたミッションは、「WEB商材を根付かせること」。時流に合わせ、紙商材からWEB商材へシフトする一端を担いました。

ステージを名古屋に移し、PMI業務を担われたわけですが、具体的にどういった体制で従事されたのでしょうか。

私を含めてじげんから出向した社員は社長を含めわずか6人で、あとは皆さん三光アドの社員でした。
着任してからは、これまでの経験を活かしつつ、新しいことにもチャレンジさせてもらいました。
広告受注〜掲載までのスケジュール調整やWEB商材の利点をまとめた資料作成、時にはテレアポなど守備範囲広く奔走していましたね。

前職から比較してもかなり幅広い業務にチャレンジされていますね。ミッションでもあるWEB商材の浸透はスムーズに進んだのでしょうか。

想像以上に、簡単にはいきませんでした。当時の三光アドはインセンティブ制度が整う紙商材の文化が色濃く、WEB化を推進する私たち出向社員への風当たりが強いこともありました。
出向組の社長・マネージャーと、三光アド社員の間に私が入る形で双方の意見を吸い取る仲介役もしていました。人を動かす難しさを体感しつつも、相手の立場を尊重して地道にコミュニケーションをとっていましたね。戸惑うことも多かったのですが、当時の社長に「比嘉ちゃんが来て組織の循環が良くなった」と言われたことで、地道に積み上げたものが信頼につながった実感が持てました。

固い絆を武器に爪痕を残した、新規事業立案コンテスト

名古屋での1番のチャレンジはありましたか。

調整役を務める内に社内の人とも打ち解けて、少しずつ名古屋の人に愛着が募っていきました。
「(本社の人にも)もっと名古屋を見てほしい。」
スポットライトを当てられる機会が少ないと感じるようになっていた時に、本社でじげんEXPO(新規事業立案コンテスト)開催の案内がありました。
「名古屋から挑戦したい」と社内で声が上がり、先輩方と優勝を目指して取り組みました。

提案したビジネスプランの内容を教えてください。

外国人留学生をターゲットにしたビジネスプランです。SNSのダイレクトメッセージや日本語学校へのヒアリングを実施しました。「生の声」を集めた点が評価されて、予選23組を突破し3位に入賞することができました。
社会人になって初めて、何かをつかみかけた瞬間でしたね。

労働人口の減少を解決する手段として外国人労働者を増やしたい国策と、市場が温まっていない矛盾。ビジネスプランを練り上げる過程で、日本語の習得力や専門性で、外国人労働者がホワイトカラーとブルーカラーの2職種に分類される社会課題も見えてきました。事業の成功が、課題の解決につながるんだと。じげんが標榜している《事業で社会の課題を解決する》ことが、自分の中で腹落ちできました。

これを機に、仕事に向き合う姿勢が変わっていったと思います。目の前のCVやKPIという指標に売上(お金)以外の価値を見出せるようになり、数字を追うことに納得感が芽生え始めました。

三光アド出向時に切磋琢磨し合った仲間たち
ZIGExN EXPO3位受賞時

突然の事業部解散、やり切れなかった想いが次のステージへ足を向かせた

その翌年度には、東京に異動されていますがどんな経緯があったのでしょうか。

仕事にやりがいを感じ始め、WEB商材が徐々に三光アドの社内に浸透してきたと思った矢先でしたね。アルバイトタイムス社とじげんの合弁会社の立ち上げが決まり、三光アドのWEB事業は解散することになりました。

当時は、「1からディレクションし、(開発側と)ぶつかってまで作り上げたのに」と悔しさがこみ上げましたし、三光アドの社員の皆さんからも、「何のために今までやってきたのか」という言葉を投げかけられることもありました。

退職が頭をよぎり、今後のことを考える中で交流のある上司に相談したところ、「事業会社の醍醐味をまだ知らない。悔しいだけで退職するのはもったいない」の助言をいただいて、踏みとどまり「まだ、この会社でできることはある」と決意を新たにしました。
沖縄に帰るか、東京本社に行くかの2択で葛藤する中で、真っ先に頭に思い浮かんだのは両親の顔でした。
東京では「一緒に働いてみたい」と思っていた上司の下で働けるとも聞いていましたし、なにより「成長しないまま沖縄に帰りたくない」と、本社勤務を決意して上京しました。

様々な想いと期待を抱えて上京されて2年目に入りましたが、いかがですか。

当時の決断に間違いはなかったと思っています。一緒に働きたかった上司でもある今井は5年後、10年後の構想を持っていて、圧倒的なインプット量の多さでどの領域に対してもプロフェッショナル。「数字を見るクセをつけろ」と鍛えられています。複数の施策を同時進行するので多忙ではありますが、日毎に利益率が上がっていることが嬉しいです。元々、数字は苦手でしたが今は数字をベースに施策を出せるようになりました。

地道に経験を積み重ねて、自分の人生と組織に彩り豊かな魅力を添えていきたい

これから、どんな未来を創っていきたいですか。

将来の夢は、沖縄に戻って在日外国人をターゲットにした労働環境の整備と育成事業を起こすことです。
労働者と雇用主がどちらも幸せになれる事業にしたいと考えています。
最近は、仕事の傍ら土日に日本語教員免許を取得するための勉強を始めました。いつかふるさとで力を発揮できるよう東京で力を蓄えているところです。

私の名刺裏の「華」には、”多様な組織にしたい”という想いを込めました。じげんの組織と事業に彩り豊かな魅力をさらに添えていきたいと思っています。三光アドで自分なりのカラーを模索した経験を生かしていきたいです。

自身のキャリアを振り返る度に、名古屋で一緒に働いたマネージャーの言葉を思い出します。
「社会人人生を8-17時で時間換算すると比嘉さんはまだ9時頃。ようやく仕事が動き出したぐらいに過ぎない。失敗してもやり直せる。」
「正しい意思決定をすることにこだわるのも大切だけど、自分が決めた意思決定を正しくする努力のほうがよっぽど大切。」

東京は厳しいと感じるシーンも多いです。それでも愚直にやっていれば、いつか仕事が自分のものになる時が来るはず。名古屋で味わった悔しさを推進力に変えて、チャレンジを重ねていきたいです。若ければ挑戦できますし、就職が危ぶまれるほど落ちこぼれだった私も、意気込みさえあればどうにか頑張ってこれました。年齢や環境で悩んでいる人も諦めないで欲しいなと思います。

比嘉の名刺。じげんの名刺は社員それぞれ想いを込めた漢字を添えている。

株式会社じげん 企画マーケティングUnit 兼 住まいDivision
比嘉

2014年 大手IT企業の沖縄拠点に新卒入社し、わずか1年半で同社マネージャーに昇格
2018年 5月じげん入社、同年8月に三光アド出向しPMI業務に従事
2019年 企画マーケティングUnit ダイレクトマーケティングチームに配属
2020年 企画マーケティングUnitと兼務で住まいDivisionに配属

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